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社員・伊藤の経験

わたしの母は9年前に、胃がんになりました。

胃の調子が悪く食べたものを吐いてしまう毎日であったにもかかわらず、胃薬を飲んでごまかしていたようでした。しかし、あまりにも痛みが酷く、父より病院に行くよう言われ、不安になりながら病院に行く決心をしたようです。

私は末っ子であり、非常に可愛がられて育てられました。母には、仕事のことも恋愛のことも、何でも話をする子供だったので、母は病院に私にだけついて来てほしいと頼みました。

母は「私、癌だと思う」と言いましたが、「きっと大丈夫だよ、悪くても胃潰瘍だって」と車の中で励ましていたのを思い出します。

しかし、結果は進行がんで余命4ヶ月という告知でした。

母には言えず、「胃潰瘍だって、入院して治療するみたい」と、平静を装って伝えました。父に連絡をして、余命を伝えたら、「馬鹿だな、だから早く病院に行けっていったのに」と寂しい声で言ったのを覚えています。兄と姉はただ泣いていました。

私はこの頃、初めて結婚したいと思う人を母に紹介しておりましたが、母の状況から結婚は当分延期しようと思っていました。家族全員で病院に行き、すぐ治るから大丈夫と言って母を励ました後に、主治医より家族だけで話があり、末期の状態であり、おそらく4ヶ月の余命であると再度言われました。

先生に、母に私の結婚式を見せてあげたいので、今から準備して直ぐに式を挙げるのは出来ないものかと相談してみると、「おそらく出席するのは無理ですし、場合によってはその前に他界する可能性もありますので、止めた方がいい」と言われしまいました。

病院の待合室で家族だけで座り、無言のまま1時間ほど過ごしました。
そして私は言いました。

「結婚式するわ。」

父と姉が、「馬鹿じゃないの?絶対に無理だから、もしお母さんが死んだら全てキャンセルになるし、みんなに迷惑がかかるよ、しかも死んでから1年間位はもしかしたらお祝い事は出来ないかもしれないから、かなりの延期になるし止めなさい」と言われました。

「かーちゃんはきっと大丈夫。俺の姿を見たいはずだから、きっと出席できる。もし、駄目だったら俺がみんなに迷惑かけてと謝るから、俺が何とかするから、絶対に結婚式することにする。」

母は4ヵ月後の結婚式に着物は辛いので洋服で出席しました。

立っているのもやっとだったので、休む部屋をとってあり、そこで休みながら、最後の花束には頑張って一人で立ち、私からの花束を受け取ってくれました。

この頃には、母は自分が癌であることは気づいており、抗がん剤治療をしていましたが、副作用などに酷く悩まされ、幻覚を見る日などもあり、「私を殺そうとしているから助けに来て」と電話がありました。

何度、説明しても、薬によって正常な意識ではなく、泣きながら病院から抜け出そうとお願いされました。私は母をパジャマのまま、スリッパで連れ出して、タクシーに乗りました。後ろを見ると、車を追いかけてくる先生や看護婦さんがいました。

痛みが酷く、「もう死んでもいいからモルヒネを打って」と母が泣き叫びました。先生は、「もしかしたらそのまま正常ではなくなるかも知れないですよ」といいましたが、父は「楽にしてあげてください」と頼みました。

私の妻が妊娠をして、母は非常に喜んでいました。妻はほとんど毎日、母の病院に行き、母はいつも妻のお腹を撫でていました。私が一人になったとき、母は、私にこう言いました

「あなたの子供に、私は会えないと思う」

出産の予定日の1ヶ月前、母は他界しました。いつも、家に帰りたいと言いながら、一度も帰れることなく、私の子供を触ることも出来ないお別れでした。

今、私が、この仕事をしていて、色々なことを知り、色々な方からの相談を受け、思うことがあります。

あと1ヶ月、母が長生きしていたら、私の子供と会うことができたのに
その1ヶ月は無理だったのだろうかということ

何も考えず、病院だけを頼りにしていたことは正しかったのだろうか?
もし、今の状況であれば、母とは違った形で過ごせたのではないか?

後悔ばかりをしています。

多くの方とお話をしていて、私は皆さんに伝えたいことがあります。病院のほかにも多くの可能性はあり、後悔だけはしないでほしいということを、本当に強く思います。

黒川本舗 社員 伊藤

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